新里兄さんが亡くなった。
突然だった。
まだ、ちょっと信じられないんだ。
新里兄さんとは、2016年にアタシが茅ヶ崎に引っ越して来てから、モンチカ先生繋がりのご縁で、仲良くして頂いていた音楽仲間。
アタシのライブにも、ちょくちょく足を運んでくださった。
とってもダンディで、イケメンなのに、足元は常にビーサンっ!
冬でもビーサン(笑)。
音楽が好きで、ご自分でもギターの弾き語りをやっていて、茅ヶ崎の音楽イベントにはよく出演されているようだった。
アタシの中では、茅ヶ崎人とはこういう感じ、というのを象徴するような人だったんだ。
歌もギターも凄く上手なのに、全く高飛車ではなく、下手な演奏もニコニコしながら観ているような人だった。
いつも穏やかで、優しい雰囲気だった。
茅ヶ崎の人は、茅ヶ崎から出たがらない。
ライブを観に、わざわざ横浜まで行かない傾向があるように思う。
なのに、新里兄さんは、猫丸エクスプロージョンのワンマンライブを、わざわざ関内まで観に来てくれた。
もちろん、その日も足元はビーサンだった(笑)。
本当に嬉しかった。
本当に嬉しかったから、新里兄さんがライブやる時に観に行って、恩返ししようと思っていた。
でも、タイミングが合わず、結局、観に行けなかった。。
ついこないだFacebookに、新里兄さんのこんな記事を見かけた。
買い物に来て、ビールをケースで買って、さっそく1缶あけて飲んでるけど、買い物中のママサン達に変な人だと思われてるかも〜みたいな記事(笑)。
新里兄さんらしい光景が目に浮かぶな〜って思っていた。
その翌日、新里兄さんの訃報を聞いた。
信じられなかった。
今日、新里兄さんの告別式に行った。
『お別れパーティー』みたいな趣旨で、バンドが演奏したり、縁の深い方が歌ったりするような告別式だった。
新里兄さんのパネルや、アルバムには、奥様との思い出の写真が沢山あった。
Facebookで、時々、奥様との記念日に、ちょっと素敵なレストランでお食事をしている写真とかがアップされていたので、ご夫婦仲が良いのは知っていたんだけど、今日、数々の写真を拝見して、本当に仲睦まじく幸せそうだった。
ちょっと羨ましくなった。
反面、そんな幸せな結婚生活を送ってこられた奥様は、悲しみも深いことだろう。
想像すると、本当にお気の毒で、胸が痛む。
式の最後に、奥様がこんな事を語られていた↓
毎日遅くまで仕事して、深夜に帰宅し、早朝また仕事に出かける、そんな企業戦士だった新里兄さんが、定年退職したらやりたいことがあると言っていたんだとか。
髪を金髪に染めたい、奥様ともう一度結婚式を挙げたい、世界中を旅行したい、音楽をやりたい、と。
アタシと知り合った時は、既に髪は金髪だった。
今日見せてもらった沢山の写真には、奥様との2回目の結婚式をやった写真、そして世界の色んな国々を訪問した写真が沢山あった。
そして、言わずもがな、音楽をやっていた。
新里兄さんは、定年退職後の夢を、ちゃあんと全部、叶えていたんだ。
音楽で沢山の仲間が出来て、少年みたいだった、と。
少年のまま、亡くなった、と参列者にお礼を言っていた。
アタシは、新里兄さんとは、1年数ヶ月のご縁だった。
これからもっと親しくなれそうな、そんな気がしていたんだ。
これから、って思っていたのに、本当に残念。
あの笑顔に、もう会えないのか。。
↑去年の夏、モンネコツーマンライブにて。
↑去年の夏、モンネコストリートライブにて。
新里兄さんのご冥福を心よりお祈りいたします。