只今、五島列島滞在中。
先日入った寿司屋で、8月15日に精霊流しをやるという話を聞いたので、今日、民宿の人に、精霊流しはどこで見れるのかを聞いてみた。
…が、知らないと言う。
長崎の精霊流しは、全国的にも超有名だけど、五島の精霊流しは、観光客が想像してるような派手なイベントではないよ、と言われた。
派手なイベントじゃなくても、精霊流しを一目見たいと思って、夕方、情報収集の為にラーメン屋に入った。
お店の人に尋ねても、やっぱり知らないという。
おかしいなぁ?
ところが、アタシとラーメン屋の会話を聞いてた隣の席のお客さんが精霊流しの情報を詳しく知っていて、時間と場所を教えて貰った。
青方と言う港でやると言うので、青方港行きのバスに乗って行ってみた。
終点の青方港に着いて、バスの運転手さんに、精霊流しはどこで見れるのかとたずねると、知らないと言う。
バスターミナルの事務所の中に居た他の人に聞いても知らないと言う。
なんで?
なんでみんな、知らないの?
青方の町は、まだ夜の8時前だと言うのに店が閉まっていて暗く、バス営業所もアタシが乗って来たバスが最終で店じまい。
帰りのバスは既にない。
港に行ってみても、人はあんまりいない。
けど、港から海へ、板で作られた滑り台みたいな物がセッティングされていて、精霊流しの準備がされている。
とりあえず付近を散策してみると、後ろの方で何か金物を叩くような音。
音が近付くのを待ってみると、4〜5人の人が、一台の小さな荷車を引いてやって来た。
その小さな荷車の上に、意外と大きい木造の舟(←全長3mくらいかな?)が乗っていた。
精霊舟だ!
けど、意外と地味だなぁ
…なんて思っていると、道端で荷車を止めて、なにやらゴソゴソと、セッティングを始めた。
提灯を取り出して広げ、中に火を燈し、それをいくつも精霊舟に提げていった。
精霊舟の中からお線香の煙りが出て、スピーカーからお経が流れてきた。
再び、荷車を引き、歩き出したので、なんとなく付いて行くと、民家の家々の前で提灯を持った人達が待っていて、精霊舟の後に付いてくる。
精霊舟は町をねり歩き、提灯を持った人達の大きな行列になった。
よくよく耳をすますと、アタシが後をつけた精霊舟の他にも、金物を叩く音が聞こえて来る。
精霊舟を乗せた荷車が、提灯を提げた人達の行列を従えて、続々と港に集まって来た。
さっきはほとんど人が居なかった港も、その頃には、町中の住人が集合した勢いで混雑していた。
全部で6隻の精霊舟が港でロープで繋がれて、滑り台で水に下ろされた。
精霊流しって、亡くなった人の初盆の時に、家族が精霊舟を作って流すらしいんだよね。
なので、6隻って事は、一年間で、6人、亡くなったということらしい。
提灯を燈した精霊舟は、音もなく水に浮いて、6隻が綺麗に連なって船に引かれ、音もなくスーッと進んだ。
船に引かれて、精霊舟は港内を何周かした後、沖の方へ行ってしまった。
精霊舟に乗せた提灯の灯がどんどん小さくなっていくのが、切なかった。
もちろんアタシはただの通りすがりの観光客なので、亡くなった人の事は何も知らないんだけど。
精霊舟を見送る時には、爆竹やロケット花火を鳴らすのが習慣らしく、港のあちこちで、まるで戦場みたいに爆竹や花火の爆発音がしていて、静かに遠ざかる精霊舟のしんみり感が際立つ感じがした。
精霊舟の提灯の灯が、まるで亡くなった人の魂みたいで、真っ暗な海は、あの世みたい。
心細げな小さな灯が淋しくないように、激しく爆竹を鳴らすのが、なんだかとても痛々しい感じがして涙が出た。
命って、はかないなぁと最近よく考えるんだ。
蝋燭の灯みたい。
もしくは、雨のしずく。
沢山の人が居て、沢山の命なわけだけど、ちょっとしたことであっけなく死んでしまったりする。
精霊舟みたいに、魂は、スーッって、音もなく逝ってしまう。
逝ってしまったら、二度と戻って来ない。
だから、今、生きてるって事が奇跡みたい。
今、奇跡的に生きてて、同じく今、奇跡的に生きてる他の人と、偶然出会うってことは、奇跡×奇跡×奇跡。
奇跡の3乗だよ!
大切にしないといけない。
帰りはタクシーで宿に戻った。
帰り道、別の入江でも、精霊流しをやってるのが見えた。
そこの精霊舟は、アタシが見た青方のとは全然違う形をしてた。
多分この辺りはあちこちで、個人とか、町内会とか、宗教の宗派とか、小さな単位で精霊流しをするんだろうな。
だから、町が違うと全然わかんないとか、宗派が違うと全然わかんないとか、そんな感じなんだろう。
精霊流しは、お祭りでも観光客寄せのイベントでもなくて、法事に近いんだな〜って気付いた。